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「走れメルス」をTVで観た
野田秀樹さんが怖い。 饅頭怖いの怖いじゃなく、本当に怖い。 なんだか全てを見透かされているようで怖い。 世の中の全部を計算しつくしてるようなあの感じが怖い。 上手く言えないけど、神様みたいで怖いのだ。

だからというわけでもないが、私は野田さんの舞台をナマで観たことが無い。 テレビで観るのであの迫力から少し冷めたところにいるせいか、どうしてもドラマを観るノリで「もう少しゆっくり喋ってよ」とか、「話がわかりにくい」とか思ってしまう。 でもたぶんセリフやストーリーを「理解」するものじゃなくて、「感じる」ものなのかしら、とやっとわかりつつある。 といっても、自分でそう思ったのではなくて、野田さんが放映前の解説でそんなようなことを言っていたのだが。 

走れメルス―少女の唇からはダイナマイト!」をwowowで録画しておいて観た。
「こちら岸」と「向こう岸」というのがあって、別世界なんですが、リンクしているようだ。こちら岸には下着泥棒と夢見る乙女がいて、向こう岸にはイケメンアイドルと結婚式から脱走した花嫁がいる。

これは30年前に書かれて上演された戯曲だそうで、野田さんの解説では、「向こう岸」は非現実の絵物語の世界として、「こちら岸」は現実の世界として描いたという。 確かにそのころは「向こう岸」のような庶民の手の届かない場所があっただろう。 アイドルは手の届かない存在だった。 庶民は庶民でしかなく、今みたいにどこの誰もが「セレブ」になろうとすればなれちゃうような時代ではなかったわけで、くっきりと「セレブ」と一般市民の間に境界線が引かれていた時代。 でもそれをリンクさせたところが野田秀樹の凄いところで、今みたいな時代になることをどこかで予感していたようだ。
だって、今ではアイドルは隣の女の子って感じだし、手取り10万円とかの給料でも高級ブランドバッグとか持ってたりするし、「セレブ」は憧れでなく成るものだ。(「玉の輿」って言ってくれればわかりやすいのに。「セレブになりたい」とか言うからわかりにくいのだ。まあそれはともかく) 分相応なんて言葉も死語だ。
たぶん、30年前の観客と現代の観客では観終わったあとの感想は違ったんでしょうね。   

話の中で、ただのヘタレだと思っていたスルメが実は一番まともだったんじゃないだろうか。 まあ下着泥棒は勘弁してほしいけど、それでもさすが勘太郎クンという感じもしたし。 最後のところで目が寄ってて、歌舞伎になってたし。
役者で言えば古田新太は改めてスゴイなーと思いました。 ふかっちゃんのキンキン声は「これこそ野田演劇」なんだろうけど、私はどうも苦手。 それより小西真奈美が素晴らしい。 そういえば少し前に「ミラクルタイプ」で声が枯れてたけど、これだったんだね。


劇中、回文がセリフとしてふんだんに使われていたので、ここでひとつ私も考えてみた。

  「誰か居たみたい。彼だ。」

おあとがよろしいようで。
   
| Theatergoing | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
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