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Fluctuat nec mergitur映画「バベル」
2007.05.12 Saturday
人が生きるうえで、最大のテーマがコミュニケーションであると私は思う。 心の底から痛切に、人は一人では生きていけないと思うし、自分以外と交わることが、多く、深く、出来る人ほど、豊かな人生を送れると信じている。
でもそれは容易いことではなくて、むしろ、人生で一番難しいことでもある(私には)。 他人とスムーズにコミュニケーションが取れる人生は快適だ。 自分が理解され、理解できる相手がそばにいることは幸せだし、そういう相手がたくさんいるほど、自分のテリトリーが広く確保されている証だし、「自由度」が大きいということだ。 人間が人間としての尊厳を失わないためには、何ものにも束縛されない、自由であることが不可欠だとすると、「わかりあえる」ことが何より大切に思えてくる。 日ごろ漠然と思っていたことなのだが、今の私のこの気持ちを目の前のあなたに伝えるとしても、伝える言葉は幾通りもあるはずだ。 私たちは、果たしてどれほど的確に、自分の気持ちを相手に伝えることが出来ているだろう。 それに、例えば10ある気持ちのうち、いつもいつもその全てを伝えているなんてことはありえない。 7を表現したとしても、相手が受け取るのは5くらい? だとすると、最初の気持ちのうちの半分しか相手に伝わらないことになる。 心と言葉は決して一体ではない。 相手の言葉が気持ちの全てと思いがちだが、ひとが本当に知るべきなのは相手の気持ちだ。 例えば親がきつい言葉で子供を叱る時、子供は腹立たしく思いながらも、親の心配を感じ取っているはず。 しかし日常の会話から、話し手の言葉の裏を、いつでもそんな風に読み取れるわけもない。 喜怒哀楽を等身大の、しかも相手に見合った言葉で伝えることは、案外難しいものだが、正しく伝えてこそ、相手の理解が始まるのだ。 伝わらない、わかってもらえないと嘆く前に、自分の気持ちに敏感になって、語彙を増やすことが、コミュニケーションのスタートなのかも。 この映画の登場人物たちは、皆、どこか傲慢だ。 ある者はささいな意地の張り合いから、ある者は窮地を脱するために、自分を押し通そうとして、逆に行き場を失って行くように見える。 だが、これらの姿は特別でなく、日常の私たちだ。 わかってもらいたいのにわかってもらえない、だから突っ張る。 でもだからといってそれで理解してもらえるわけではなく、却って溝は広がってしまうのに。 そこにあるのは「言葉の壁」ではなく「心の壁」だ。 しかも自分で築いていることに気付かない壁。 使っている言葉がどこの国のものかなんて、本当は関係ないのだろう。 同じ言語を話すからといって、気持ちが簡単に伝わるわけではないのだ。 しかし、以上の話とチエコの話は別だ。 チエコの傲慢さにはどうしようもない「孤独」という理由が付きまとう。 音のない世界とは、たぶん自分だけが取り残されたような気持ちだろう。 音のない渋谷の繁華街を想像するだけでも、とっても寂しく思うのに、そんな想像では間に合わないくらいの孤独がきっとチエコの心の中にはある。 そしてたぶん絶対的な味方であった(と思われる)母親を自殺という形で喪い、チエコの孤独は、もはや自分では埋めることが出来ないほど大きな穴になってしまっている。 閉ざされた世界にいる(いなくてはならない)彼女が、間違った方法で他人にコミュニケーションを求めたとしても、彼女を責められないどころか、彼女のその愚かしいやり方が、痛いほど悲しく、切なく、いとおしくてならない。 冒頭に書いた「歪」とはまさしくこのことで、よく言われていることらしいが、他の話と日本の話は、どうもテーマが違って見えるし、ここだけ膨らみすぎている。 並みの監督だったら、日本のエピソードだけで一本撮るところだろう。 まあ「バベル(の塔の話)」という観点から見れば一つにくくれるのか。 撃たれたアメリカ人夫婦は、事件を乗り越えて絆を取り戻すだろうし、チエコの心は父親と少しだけ近づけたかもしれない。 モロッコの少年は張り合っていた兄の命を救いたい一心から自分を投げ出したことで、少なからず観る者に救いを残した。 気の毒なのはメキシコ人の乳母で、ガエルくんの暴走さえなければこんなことにはならなかったのに。 ガエルくん、早く出頭せよ! アメリカの議会に、メキシコとの国境に壁を設置するという法案が提出されているとか。 映画でも、メキシコへ行くにはすんなりと行けたのに、アメリカに入っていく時にはあんなことになってしまう。 もちろん不法入国問題が絡んでいることはわかる。 日本人には国境というものは感覚的にわかりにくいが、地続きでありながら言葉も文化も異なる境界線の存在が、人の心までも隔てるのか。 神様は、偏見や差別を助長するためにバベルの街の人々を散り散りにしたわけではないだろうに…。 さて、やはり一言触れたくなるのが菊地凛子さんですが、どれほどすごいのかと思っていたら…ホントにすごかった。 あの目ヂカラには圧倒された。 アカデミー賞ノミネートも当然と感じる。 裸は高校生って感じはさすがにしなかったけど、でも頑張ったなあと思う。 ま、最後のシーンまで裸でいなくてもよかったと思うけど。 あとニュースになったクラブでの光の明滅シーンですが、配給側は凝視するなとか言ってますけど、ああいうの弱い人も、サングラスかけてでも観た方がいい。 あのシーンは重要。 ・「バベル」公式ページ ・バベル@映画生活 ゴールデンウィーク中に鑑賞 日比谷スカラ座 ★★★★★ コメント
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