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文庫「残虐記」
桐野夏生は時代を切り取るのが上手い。 実際の事件を掬い上げ、上手に料理するその手腕は天下一品と私は思う。 しかし、例えば「グロテスク」のように、取り上げる事件がショッキングでスキャンダラスと言われるようなもののため、いろいろと批判もあるように思う。

この作品も、新潟の少女監禁事件をモチーフにしていると言われるが、事件前から着想はあったそうで、事件そのものとの関連はない。 ただ、読み手としては、現実の事件に引き寄せて読んでしまいがちで、小説のテーマとなっている「事件で衆目を浴びた幼い子どもが辿る“他人から見られ想像される人生”」を奇しくも現実の事件に照らし合わせてしまうという、失礼なことをしてしまいがちになる。

そう、小説は少女監禁事件そのものを扱っているのではなく、監禁解放後の被害者の生き辛さに焦点を当てている。 
身柄は解放されても、心が事件以前の自由を取り戻すことはもはや不可能で、家庭は崩壊し、人々から好奇心丸出しの目で見られ、トラウマに悩まされる。 犯人によってまさしく滅茶苦茶にされた人生を生きる被害者。

しかし、この被害者は幸いなことに、言語能力が素晴らしく発達していた。 小学生にしてはませていたのか、いろいろなことを考えることが出来た。 それを不幸と思う味方も出来るかもしれないが、やはり私は、考えることが出来るというのは幸せなことだと思う。 そして、それを言葉に置き換えることが能力に優れていたとは、なんと幸運なことか。 

私が確実に感じるのは、心の傷は言語化することで、多少は癒えるということだ。 心理学で言う認知療法だけれど、腹が立つことがあったら、友達にわぁーっと話すとすっきりするでしょう。 あれと同じような感じと思う。 心に溜めておかずに表現してみることで、気持ちが整理され、不要なものが発散されるのだと思う。

それを考えると、昨今の「キレやすい子ども」が多いのは、気持ちの言語化能力が乏しくなっているから、という理由はまともな気がする。 子どもたちよ、本を読め。 
  

それはさておき、この女性は、小説家になったという設定にふさわしく、見えなかった部分まで想像できてしまうほど、賢く、神経が尖鋭だった。 内省的だったのは事件の影響か。 例えば「犯人は幼少時に同じように性的虐待されていたのだろう」とか「隣室の男性はこういう心理で私の監禁されていた部屋を覗いていたのだろう」とか、その想像が、自分の傷を広げることになりはしないかと心配になるほどだ。 上に書いた「考えることが出来たことは不幸という見方も出来る」というのはそういう意味だ。 
考えること、それ自体は大切だが、ネガティブになりかねない想像が、本人にいい影響をもたらすかどうかはわからないから。
 
それにしても、あることないこと、赤の他人に勝手に想像されてしまう人生って、どうだろう。 悪く言われたり、暴力を受けるのと同じくらい、悲しいことだ。 

しかし…。 想像する側にしてみれば、想像なんて、表現すること以上に自由なはず。 それでも当事者は第三者の勝手な想像を想像して傷つく。 人の心が読める超能力者でもない限り、他人の想像を想像するなんて、想像の域を出ないのだから、わかりもしない人の心理を想像するよりは、強く生きるしかないのだ、きっと。 鈍感力ですな。   
| book | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
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