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映画「ブレイブワン」
なんかへんな映画観ちゃったなーっていうのが最初の感想。 それは結末のせいで、まあ、それはさておき。

結婚を間近に控え、仕事も順調。 幸せの絶頂だったはずのエリカに突然の不幸が訪れる。 犬を散歩中に暴漢に襲われ、婚約者が殺され、自分も重傷を負う。 
身体の傷は癒えても、心の傷は癒えず、最愛の人を喪った心の空白も埋められない。 警察は何もしてくれない、自分を守ってくれるの人がいなくなってしまった以上、自分の身は自分で守らなくてはならない、募る焦燥感…。


エリカは多くを語らないので、その心情は慮るしかないが、私が考え得る全てを今想像したとして、銃を不法に入手する、という行為に至るかどうかがまず実感としてつかめない。 自分が暴力を受け、身心にダメージを受けた時に、自分が暴力を振るう側に立とうとする気持ちに、私はなれないだろう。 
そちら側に行くには、なんにせよ、相当なパワーが必要だからだ。 自分にそんな根性、あるとは思えない…。

ただ、映画の中でエリカはそういう選択をした。 アメリカは銃社会だし、自分の身は自分で守るしかないとなれば、そういう選択もアりなのだろう。 しかもジョディ・フォスターの切迫した演技には説得力があり、有無を言わさず「それしかエリカにはなかったんだね」と納得させられてしまう。 
 
そしてエリカは自分が危ない目に遭いそうになると、銃を放つ。 コンビニでも電車の中でも、正当防衛だとは思う。 エリカが銃を持っていなかったら絶対に犠牲者の側に回っていただろう。 暴力と隣り合わせの社会に暮らすには、自分もなんらかの力を持たなくては生き抜けないということだ。

報復の連鎖についてはこのブログでも何度か取り上げた。 しかし今回が究極だと思う。なんといっても銃だ。 自分が撃たなくては殺されてしまうとしたら、黙ってじっとしているわけにはいかない。 しかし、本当にそれでよいのか。

エリカの銃撃には正当防衛以外にも次第に「世直し」的な意味がつく。 エリカが殺した相手はどれもチンピラばかり。 知り合った刑事が追いかけていた悪党を殺すにいたっては必殺仕置人だが、こうまでエリカを駆り立てるものが何なのか、ここまで来るとわからない。 ただの正義感ではないだろう。 捕まえて欲しかったのか。 刑事の役に立ちたかったのか。

自分と婚約者を襲った暴漢が警察によって捕らえられ、被害者として面通しをさせられても、案の定彼女は犯人は見当たらないと答えて犯人を釈放させ、自分で「処刑」に向かう。

目には目を。 加害者には報復を。 それは人間の欲求として当然かもしれないが、それでは秩序が保てないとして、成熟した社会では第三者が裁くというルールが出来上がったのではないか。 欲求のまま、報復感情をそのまま行動に移していては、客観的な裁きが機能しなくなり、社会は成り立たない。

もし銃による個人の報復が許されるならば、殺し合い、脅し合うことになってしまうだろう。 
死んでからでは仕返しは出来ないのだから、殺される前に殺す側に回ろうとする。 しかしその「殺される前」がどの程度まで手前なら許されるかなんて、判断は難しい。 つまり、どこまでされたら報復していいかなんて線引きは不可能だろうから、ちょっとしたことで銃口を人に向けて、謝らせたり言うことをきかせるようなことになるだろう。 

銃口を向けたり、向けられながら、他人を信頼したり穏やかな生活が営めるはずがない。 

つまり問題なのは、線引きできるか、自分の被害を客観視できるか、ということではないかと思う。 そして、だいたいの場合、自分が暴力被害に遭った場合に、それを冷静に判断できるとは思えない。 
だからこそ警察があり、司法があるのだ。 たとえそれが、信頼に値しないと感じたとしても、現代社会に生きる限り、そうあるべきだ。 
例外は暴力に対峙した瞬間のみ。 映画の中で言うなら、冒頭の、チンピラに暴行を受けている時。 計画的な事後の報復はあるべきではないと私は思う。

世直し的銃撃についても、警察や司法でない素人が、相手の一面(暴力を振るっている瞬間)だけを見て独断で殺す、または制裁を加えるなんてあってはならないと思う。 どんな事情があるかわからないのだから。 その暴力が仕返しで、その人は酷い目に普段遭っていたのかもしれないし、愛する家族だったいるだろう。 それでも暴力は一も二もなくいけないというのなら、エリカが下す世直し暴力だっていけないことなのだ。 


さて、私が変な映画と思ったのは、結末の部分で、この後は未見の方にはお勧めしない。


犯人をエリカが殺そうとしているところへ刑事がやってくる。 そして、「俺の銃で撃て」といい、エリカは刑事の銃で報復を果たす。 そして、「このままでは君も俺も捕まるので、俺をその銃で撃て。 俺が犯人と撃ち合いになり、殺したことにしよう。そして君は逃げろ」
エリカは言われた通りに刑事を撃って逃げる。 つまり何のお咎めもなし。 えーーーーーっ まさかそれでいいのーーーーーっ。

この結末でシラけました。 私はこの映画の意味はてっきり報復を果たした後のエリカの苦悩を考えさせられるもの、少なくともその余韻を残してくれるだろうと思っておりました。 そりゃあ苦悩はあるだろうけど、でも、実際やったことは刑事に罪をなすりつけたも同然のこと。 それじゃあ伝わってくる苦悩は半減するよ。 脱力しました。

★★★

JUGEMテーマ:映画


ブレイブ ワン@映画生活
| movie theater | 23:30 | comments(1) | trackbacks(6) |
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| シネマ・ワンダーランド | 2009/04/12 12:44 AM |