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赤い長靴 (文春文庫 え 10-1)
倦怠期、と言ってしまえばそれまでかもしれない。 結局、理解しあえないまま二人は結婚生活をともに過ごしていく、いや、やり過ごしていく。 結婚ってこんなものなのかしら。

私自身はしていないのでなんとも言えませんけども、私の友人の既婚者たちは決してこんな風ではなく、もっと配偶者とわかりあえているような人たちばかりだ。 もちろん、他者からの見た目ではわからないことも、内側から見てみれば大問題だったりもするだろう。 でも、こんなにもスカスカな関係とは思えないなあ。

主人公の日和子はガーデニングショップでパート勤めの主婦で結婚10年目。 夫の逍三は外では会社の部長を勤め立派そうだが、コミュニケーション不全。 妻の話を穏やかな顔で聞いてはいるが、中身は頭に入っちゃいない。 二つ質問されるともう会話が続かない。 こういう男の人、いる。

日和子は夫に対して全面的な信頼を寄せている一方、もう駄目だ、とも思っている。 夫が帰宅するとうれしいのだが、一緒にいると寂しくなる。 夫の不在は心細いのだが、不在の時の夫が好きだ。

私には日和子の気持ちがわからない。 こんなに「もうつきあいきれない」と思っているにも関らず、そばにいてほっとする日和子の感覚が理解できない。 
想像したのは、虐待された子供が、それでも母親を慕ったり庇ったりする、あの感じ。逍三がしていることは、緩やかなネグレクトで、日和子は遠まわしなDVを受けながらも夫を慕ったり庇ったりしている、ということなのかな、と。

子供が虐待母を慕うのは、子供が自分ひとりでは生きられないことを無意識に自覚しているからだ。 では日和子はどうかと言うと、やはり彼女は自立していないのだと思う。 寄る辺なき    だから逍三の妻という立場に甘んじているのだ。  

たぶん男女のある一面の真理を突いている。 日和子はものすごく女らしい考え方の人で、逍三は男脳の人だ。 結局男と女は根本的に別物で、理解し合えないのが当然なのだ。 それでも「私たちは愛し合っている」と思い込めるらしい。 しかし…。

真理を突いているとはいえ、自分の中の違和感をホッタラカシにして諦めている日和子は自分を大切にしていないと思うし、自己満足だけで生きている逍三は人生を無駄にしていると思う。 「人生なんてこんなもの」 と思う反面、もう少し何か出来るのではないか、と歯痒い思いに駆られる小説でもある。 

他人のことなんてまるごとわかるはずなんかない。 それでも、少しでも深くわかろうとするのが人生の務めなのではないか。 
だとしたら、夫婦という、他人でありながらも一番身近な家族という単位に収まっている者同士が理解し合う努力を怠ることが、私にはもったいないような気がしてならない。 

ところでもしかしたら、逍三は広汎性発達障害なのではないかという疑いも、私の中では出てきた。 だとすると逍三の態度や言動もうなずけるのだが。
JUGEMテーマ:読書
| book | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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